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2012年11月17日土曜日

EGOIST流とはなんぞや?-その1-


前回まで「EGOIST流カラーセレクト論」と称し、僕なりのカラーセレクトに関する諸々を解説させていただきました。
それは、ユーザーさんからの質問の中で一番多いのがカラーに関するものだったからに他ならないのですが、しかしながら、EGOIST流とは、実はカラーセレクトのみを指すものに非ずという部分が、僕のフィッシングスタイルや釣りという遊びと関わる上で、もっと重要な部分であると、自身は考えています。
Leafシリーズやその他のモデルが生れた理由も、それをお伝えしてこそ理解いただけるのではないかと思うのです。



EGOIST流などといっても、さほど大仰なものではありません。それは、僕自身の私的流儀にすぎず、釣りにおける諸々の優劣を論ずるために用意したものでももちろんありません。ましてや決して他人様に強要するようなものではないのです。
ですから、EGOIST流を決して全て鵜呑みにするのではなく、「そういう考え方、やり方もある」程度に捉えてほしいと僕自身は考えているのです。
たとえ、貴兄が僕の理論に賛同してくれたとしてもです。
もちろん、ことによってはご法度的なコトもあるので、全てを疑ってかかっているとややこしくもありますけれど(^^ゞ

イベントなど、ユーザーさんを含め他の釣り人の方々と交流する際は努めて話すように心がけていることなのですが、魚を追い求めていくにあたり、上達していくためには、自身の論理的根拠ともいえる考え方の基点、つまりスタート地点ともいうべき基本的な根拠となるものをまず身につけることが重要であるというのが僕の考え方です。
ユーザーさんからカラーに関する質問が非常に多いというのは、多くのユーザーさんに、その論理的基準が確立されていないからではないかと感じます。

もちろんそれは、色々と経験していくうちに、習得スピードの個人差はあれ自然発生的に身についいくものでもあり、僕の言うEGOIST流だってなんら変ることはないものなのです。
ですから、これを読んでくださっている貴兄がもしそうであったとしても、殊更それを問題視することもありません。
そんな白紙(に近い)状態の貴兄にこそ、EGOIST流をまずは知識として取りれ、EGOIST流を信じる一方で「本当にそうなのか?」という猜疑心をも持ちながら、フィールドで「釣りという名の検証作業」を行っていってほしいのです。
そうすることで、より確かな自身の理論が客観的視点から構築されていくでしょうし、それこそが「(他人の言うことの全てを)鵜呑みにするな」と、僕が言う論拠なのです。

「釣りという名の検証作業」と言いましたが、言葉だけ見れば、釣りという行為を無機質に捉えているだけのように思われる方もいるかもしれません。
そうであるならばなぜ、斯く言う僕が釣りという行為を長年ライフワーク的に続けてこれたのでしょうか・・・。
答えは単純明快。それは「釣りが楽しいから」に他なりません。
ただし、僕自身は「魚が掛かって竿がしなること」のみを釣りの楽しみとして捉えていません。
釣果の有無や釣れた魚の大きさ、釣れた数などは、僕にとっての釣りの本質的楽しみ(釣りをする上で求める快楽の質、といえるかもしれない)には、ある意味何の関係もないんですね。
敢えて言うと、魚が釣れること自体は僕の釣りの楽しみという部分では、結構低いランキングなのです。

渓流釣りを例えに挙げると、僕自身はまず、渓流というフィールドに立つことで大方の充足感を得ているといっても良いでしょう。
釣りをしない一般の方だって、渓流と言われて思い起こす景色の中に居ることを嫌がる人は少ないと思います。
そんな素晴らしい環境の中で、自分が好きな釣りという遊びができる・・・そんな満たされ具合で充分なんです。
そりゃあ、釣れないよりは釣れた方がいいに決まっています。小さいより大きな魚がいいのも事実。
でも、釣れなきゃ満足できないかといえば、僕自身の答えは「Never」なのです。
先も言いましたけれど、魚が釣れること自体は、僕にとっては充分条件にすぎません。獲物の大小も然り。
フィールドに立てた幸福。魚と出逢えればもっと幸せな気持ちになれる・・・それだけなのです。
他人の釣った魚を羨むかというとNever。
自身が釣果に恵まれないことを嘆くかというとNever。
それよりも、同行者の魚を一緒に喜んだ方が何倍も幸せな気分になれるんです。
多くの釣り人は単独釣行を好まれる傾向にあるように感じますが、僕個人としては、一人より二人、三人で喜んだ方が幸せが倍加すると感じるほうなんです。



なぜ釣りをするのか・・・
冒頭でも出た言葉ですが、「釣り」とは、単に僕の好きな「遊び」の一つにすぎません。
今は生業という一面も持ち合わせてしまったので以前のようには楽しめない部分があるのは否定しませんが、それでも、僕にとっての「釣り」という「遊び」は、「楽しい」という気持ちを、時として第三者と共有し、味わうために不可欠なツールの筆頭なのです。





・・・続く










※ただ今のBGM   遥か1000マイルの彼方 by 堀ちえみ

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